玻璃の欠片@ 清正→行長 |
目を離したらどこかに行ってしまいそうで、思わず姿を追ってしまったり。 笑った顔が眩しくて、真っすぐちゃんと見れなかったり。 触っちゃいけないような、でも、誰にも見せたくないような。 心臓がぎゅっとするあの感覚を、何と言い表せばいいんだろう。 ――そう。まるで、玻璃みたいに煌々した、あの想いの名を。 |
「…痒いのぉ」 使いで訪ねた屋敷の入口で、隣に立つ市松がもぞもぞと足を動かす。 どうやら、冬の間に出来た霜焼けが気になるようだ。 「我慢しろ」 俺も同じだ、と小さく窘めた虎之助は、自分の右足小指の痒みから意識を遠ざけながら、手入れの行き届いた庭木をぼんやりと眺めた。 「見事だな」 ぐんと枝を張るあの松は、月が出る夜には良く映えるに違いない。 向こうに立つのは、梅や桜の名を持つものだろう。 「早く、こんな屋敷を持ちたいな…」 敬愛する秀吉の下で武功を立て、育ててくれた恩を返し、いつか立派な屋敷を持つ。 単純だけれども、これ以外考えつかない自分の道を思い、虎之助は小さく頷いた。 「虎、終わったぞ」 「あぁ」 ねねの使いを終え、市松が懐に預かり物の手紙を仕舞う。 屋敷を辞した道すがら、春を告げる薫りに、虎之助はくすん、と鼻を鳴らした。 「旨そうな匂いじゃな」 真似て鼻を鳴らす市松に、呆れたような視線を寄越す。 「お前、旨そうってこれは食い物じゃないだろう?多分、沈丁花だが…」 通りは店ばかりで、薫りを運ぶような木は一本たりとも見当たらない。 「んむー?どっかのお屋敷内からかのぅ…っ、と、とっ」 立ち止まり、急にくるりと向きを変えた市松が、脇の通行人にぶつかりそうになり、慌てて身を捻る。 「――…っ!」 「おいっ」 ちゃんと避けきれなかったのか、ふらつく人物の腕を、虎之助は力任せに鷲掴んだ。 (何だ…――) 細い手首に、薄い肩。 勢い余って胸元に引き寄せた人物は、自分と余り違わない位の背丈で。 (…――甘い薫りがする) 「すまん!大丈夫か!?」 思わず深く吸い込みそうになった自分に気付き、虎之助は市松の掛け声に合わせて腕を解いた。 「っ、申し訳ない!怪我はないだろうか?」 「あぁ…平気や。堪忍な?俺も脇見してたんよ。そっちこそ、怪我はあらへん?」 「あの…えぇ」 「さよか」 柔らかな、優しい上方の言葉が、虎之助の耳を擽る。 胸元でそっとつかれた吐息が、じわりと熱い。 「ほんに堪忍な」 と去っていく人物を市松と虎之助は見送った。 (―――何だろう?) 「おい。行くぞ」 市松の呼び掛けに、虎之助は我に返る。 見ていた先にはもう先の人物は居ない。 「あ、ああ…」 市松と並び歩いている間も、虎之助の脳裏には、細い手首と甘い香り、柔らかな言葉と戸惑いを含んだ瞳がちらついていた。 「さっきの…」 突然話し始める市松に、ついて行けずに首を傾げる。 「さっき?」 「ぶつかりそうになった奴じゃ」 脳裏を締めていた人物の事を言われ、虎之助の鼓動が跳ねる。 「細っこい奴じゃったが、なんか、う〜…なんちゅうか、キラキラしたような感じじゃったのう」 「キラキラ…」 市松の言葉を反復する。 そう、先日秀吉が信長から貰ったという黄金とかの輝きではなく、ねねが持っていた珍しい硝子細工のような。 乱暴に触れては壊れてしまう。 そんな印象をあの人物から感じた。 市松はそれだけ言うと、興味が他にいき、 「今日の晩メシは何かのう」 と話している。 虎之助は、甘い香りを引きずりながら、城に戻っていった。 「早く子供が出来んかのぉ」 子馬が産まれたら自分の馬にしたいと、日頃から秀吉に願い出ることさえある市松は、必ずといっていいほど出掛けた際は厩に寄りたがった。 半歩前を行く背中は、ひどく楽しそうだ。 (同じ背中でも、大分違うもんだな…) 別に比べるつもりではなかったが、ふと先程の人物の後ろ姿を思い起こし、虎之助は小さく溜息をついた。 「…市松。生まれても、子馬じゃ、お前の体は支えられんだろう…お前、無駄にデカイし」 「無駄とはなんじゃ!虎も、ワシと同じ位飯食うじゃろうが!ワシが無駄なら、虎も同んなじじゃ!」 「お前と一緒なわけあるか」 「一緒じゃ!」 「俺は、握り飯六ツも七ツもよう食わん」 「むっ!」 両手を上げて怒る姿がまるで熊の子のようだ。 軍配が虎之助にあがり、むぅ、と市松が低く唸り声を上げる。 その時。 「ん?のう、虎之助。ありゃあ叔父貴の新しい馬か?」 下ろし損ねた腕で厩を指し示した市松が、興味津々の瞳で問いかける。 「さぁ…どうだろうな」 一頭だけ、少し離れた所に繋がれた見慣れぬ栗毛馬は、見事な毛艶の牡馬だった。 「違うんじゃないか?」 「何でじゃ?」 「だって、こいつ牡馬だ」 「だから?…――!」 核心めいた推測に、市松も意味を悟ったらしい。 「確かに、叔父貴のじゃあない」 ニヤリ、と顔を合わせ笑い合う。 市松とするくだらない冗談が、先程まで感じていた虎之助の妙な気持ちを現実に引き戻す。 (すれ違うのも、縁とは言うけど…) 多分、きっともう会うことは無い人物だったのだ。 そのまま城内で最も忙しい場所――厨所――に顔を出した二人は、本日の使い主でもある、ねねの姿を見留めて頷いた。 「ねね様、今戻りました」 「あら、お帰り!」 ぱたぱたと走り回る姿に、塵を払った市松が小さく首を傾げる。 「ねね様忙しそうじゃが、預かり物はどうすればいいんじゃ?」 「うん、二人ともありがとね!えっと、あの人に渡してくれないかしら?丁度いらしてるお客様に、渡す物みたいだから」 「お客…?」 確かに、秀吉を頼って来る人間の数は、この長浜に居を構えた辺りからぐんと増えた。 (でも――) いくら身内同然に育ててもらっているとは云え、秀吉は一角の武将だ。 その客間に、自分達のような者達が立ち入っていいものか。 怪訝そうな虎之助に気付いたのか、ねねがくすり、と笑う。 「ふふ。紀之介や佐吉と、余り違わない子も一緒だったよ?挨拶してごらんよ」 「喧嘩せずに、仲良くするんだよ」 ねねに念を押されながら、市松と虎之助は秀吉が居る客間へと向かう。 小さな子供では無いのだから、と反発したくもなるが、事実現在秀吉の元に居る人達の中でも一・二を争う程の喧嘩早さを自他共に認める二人だったので、何とか堪えて頷いたのであった。 「じゃあ、あの馬は今来とる客のなんじゃろうな」 「そうだろうな」 だとすれば、結構な身分の者なのだろう。 ねねには気にせず行ってこいと言われたが、本当に良いのだろうか。と不安になる。 そんな時、秀吉の上機嫌な笑い声が客間から聞こえてきた。 「初めて会った時は儂よか小さかったんに、暫く見ん内に大きくなったもんじゃ!」 秀吉の声は大きい上に良く響く。 これは先程ねねが言ったいた、そう歳の変わらぬ子の事だろう。 「背ばかり大きゅうなってしもうてなぁ。もう少し貫禄っちゅうもんを、身に付けてもらわな思うとりますんや」 客の言葉に虎之助の肩が跳ねる。 先程まで脳裏を占め、ようやく忘れたと思っていた。あの人物を思い起こさせる。 動きを止めた虎之助を市松が訝しげに振り返る。 「どうしたんじゃ?」 「いや…何でもない」 明らかに様子がおかしい虎之助に心配になる。 「なんじゃ。今日はおかしいぞ。具合でも悪いんか?」 おかしいとは自分でも解っている。原因も。 しかし、何故こんなにも心が揺さぶられるのかが解らない。 また、あの甘い香りがするような。そんな気がした。 「大丈夫だ」 「そうかぁ?そんなら良いが…」 「とにかく、それをお渡ししないとな」 市松の手の中にある手紙を見遣ると、市松も頷いた。 障子の前に座して、会話の邪魔にならないように声を掛ける。 「秀吉様、お預かりした物をお持ちしました」 「お!市松と虎之助か?入れ入れ」 秀吉の許しを得て、障子を開いた。 室内には、秀吉とその後ろに控える佐吉と紀之介。 秀吉の正面には目鼻立ちのはっきりした壮年の男と、その後ろに先程のあの人物が居た。 (まさか…) 「…――」 確かめるように今一度視線を移せば、空五倍子色(うつぶしいろ)の着物の色目も、少し伏し目がちな表情も、正しく腕に引き寄せた時のそれだった。 (本当にあの人だ…) 偶然と云うには出来過ぎた再会に、虎之助は思わず息を飲む。 細面の白い額に、さらと前髪が揺れた。 「失礼致します」 「…っ」 市松の声音と衣摺りが、虎之助の意識を呼び戻す。 慌てて倣って礼を取ると、秀吉が白い歯を見せて笑った。 「何じゃ?柄にもなく、虎之助は緊張しとるんか?」 「あ…っ、申し訳ございませんっ」 客人の前で主君に恥をかかせてしまった事と、自分の失態を例の人物が見ている事に顔が熱くなる。 秀吉の後ろから、佐吉と紀之介の呆れたような視線が感じられた。 (くそっ!) 八つ当たりとは解っているけれど、涼しい顔をしている二人が小憎らしい。 先程から気にしてくれていた市松も、流石にどうやら困惑している様子だ。 思わず奥歯を噛み締めた虎之助に、胡座を構いて寛いだ秀吉が膝を打った。 「ははっ!いいぞ、虎之助。気を張ってする挨拶は、相手にもちゃあんと伝わる。おみゃあの実直さが、真っ直ぐな」 「はっ!」 深く平伏する虎之助の頭上に、秀吉が笑みを深める。 年若い素直な反応に、秀吉は腰を上げ、父親のような手の平で虎之助の肩を叩いた。 「その気持ち、忘れたらいかん――が、虎之助。魅せ所は見極めが肝心じゃぞ?今、目の前におるんは、そう云う綱渡りの相手じゃあなく、器のでっかい…言わば、儂の懐刀みたいな御仁じゃ。直ぐにお前達も世話になる。のぉ、隆佐殿」 急に話をふられた壮年の男が、驚き顔も露に口許を綻ばせた。 「おやおや。そないな嬉し言葉戴きましても、今は手持ちの土産もあらしまへんが…堺や京にお越しの際は、何ぞ言い付けはっておくれやす。小皿ではありますが、盛りつけられる品物は、この隆佐、手前の生業範囲でしたらご用意させて頂きますよって」 慇懃に頭を垂れる姿に、脇に並ぶ青年もゆっくりと続く。 その姿、言葉に秀吉は頷くと、虎之助の隣に畏まる市松に視線を投げ掛けた。 「そうじゃ、市松。預かりもの言うとったが、何の事じゃったかの?」 何の事やら、と言う秀吉の雰囲気に、市松が数度瞬く。 「何と言われても…おねね様の遣いで受け取って来た、この手紙の事じゃが」 ごそり、と懐から抜き出した和紙を、市松は秀吉に差し出した。 「んー?…お、おぉ、アレか!」 透かし眺めた秀吉が、思い出したように破顔する。 糸で留められた墨の封緘を破り、軽く目を通すと、秀吉は伺う様子の隆佐に声を掛けた。 「――そうじゃ、隆佐殿。梅の枝を分ける話が途中じゃったの?」 「はい。時期を見計らうかどうかっちゅう所でしたが…」 隆佐の答えに、青年が静かに顔を上げる。 成り行きを見守るような表情に、虎之助の胸が騒ぐ。 気のせいか、秀吉の意識が青年に向かっているようで、無性に不安になる。 (何で、そんな顔をするんだ…?) 顔を上げても目線を落としたままの青年から、視線が離せられない――秀吉の大きな声が、部屋に響いた。 「隆佐殿。その梅、近日儂にくれんか?」 「――…」 青年の、静かな湖畔のような表情が、微かに揺れる。 ゆっくりと瞬きした瞳が、一瞬だけ虎之助のそれと交じりあう。 「…準備は、もう出来てはります――せやな、彌九郎」 「はい」 隆佐の落ち着いた物言いと青年――彌九郎の応答に、秀吉が満足そうに頷くのが分かった。 それから、秀吉は隆佐を連れ、最近完成した茶室へと向かっていった。 完全に二人の気配が遠くに行くと、少しだけ緊張がほぐれた気がする。 完全に緊張が解けないのは、彌九郎と呼ばれる青年が居るから――そう感じているのは虎之助一人だけで、他の皆は緊張の色がなくなっていた。 まず動き出したのは佐吉だった。 「…俺は仕事に戻る」 帳簿の整理中に此方に呼ばれたらしい。 佐吉が部屋から出ると、虎之助の隣に居た市松が、少しうつ向いている紀之介の元にすり寄る。 「紀之介、…?」 返事もなく、うつ向いている紀之介に市松が肩に手を置き、揺らした。 「…ん?あれ?…寝ちゃってた」 昨夜は夜番で殆んど寝ていなかったらしい紀之介。 しかし、客を迎える為の人手が足りずに此方に来たらしいが、主君の後ろで寝ているとは、なかなか肝が座っている。 (寝てたんだ!) その場の全員の思った事だ。 そんな紀之介を見て、彌九郎が少し笑うのを虎之助は見逃さなかった。 その少しだけ上げられた唇を見て、虎之助の鼓動が跳ね上がる。 ドクンドクンと煩い。 もしかしたら、この部屋に響いてしまっているのではないか。と感 じられる程だった。 だが、そこに響いた音は、 ぐぅ〜。 市松の腹の虫の鳴き声だった。 「紀之介ぇ。腹減ったぁ」 流石に堪えきれなかったのか、声は出さなかったが、彌九郎は肩を震わせ笑った。 その事に市松も気付き、噛みつく。 「おい!え〜と…やくろーとか言ったな。笑うとは失礼だ…っ!」 ペチンっ 「笑える市松の腹の虫が悪いよ!」 いきりたつ市松の額を叩いて紀之介が止めた。 白く細長い指を持つ手で口を覆い、笑いを堪えていた彌九郎も顔を上げて、市松に詫びる。 「いや、失礼やったんはウチの方やわ。秀吉様が居らんようなって、つい気が緩んでもうて…」 手を合わせ肩をすくませる仕草は可愛らしく映る。 そんな彌九郎の動作ひとつひとつに虎之助は目を離せなかった。 「ま、まぁ。ワシの腹が悪いんじゃな。うん」 紀之介に怒られ、彌九郎に詫びられた市松は頭を掻いて、自分の腹に照れる。 「お腹空いたって、もうすぐご飯だと思うよ?」 先程、厨所ではねねが準備に駆け回っていたから、間も無く準備も整うだろう。 「じゃが、減ったもんは減ったんじゃ」 待ちきれない。といった様子の市松に、紀之介は軽く溜め息を吐くと、 「仕方ないなぁ。昨夜貰った大福があるから、それで良い?」 「流石紀之介じゃ!」 飛び着こうとする市松の顔を押さえ付けて紀之介が立ち上がり、二人は部屋を出て行った。 残されたのは、客であるから、勝手に動く事の出来ない彌九郎と、先程から鼓動の高鳴りが止まない虎之助だけだった。 (…二人きりだ…) 予想外の展開に、虎之助は思わず助けを求め皆の立ち去った方を見遣るが、当然そこには既に誰の姿もなく。 戸惑うように視線を戻すと、彌九郎がほんの少しだけ苦く笑いかけてきた。 「…あかん、どないしよ」 耐え兼ねるような呟きに、胸が痛む。 何か、粗相でもしてしまっただろうか? 息を詰めて見つめる虎之助に、彌九郎が再び笑った。 「秀吉様が戻られるまで、行儀悪いついでに、足、少ぉし崩してても良いやろか?」 痺れてしもたんよ、と彌九郎が自分の足を指差す。 茶室には、秀吉が身内以外に見せたい品物が揃っている。 誘われた隆佐の様子からしても 、茶器に多少の造詣がある事が窺い知れた。 「大丈夫…あの感じだと、多分、すぐは戻られないと思う」 飾らない素直な姿を見せてくれた事が、何だか嬉しい。 「さよか…ふぅ。ありがたいわぁ」 ぎこちなく頷く虎之助に、彌九郎が袴の裾を払う。 その少しだけ寛いだ姿に、虎之助は胸の奥の違和感に首を傾げた。 (…男、だよなぁ…) 上から下まで、どこを取っても男装束だ。 もう一度小首を傾げた虎之助に、彌九郎が不思議そうに問うた。 「君は、皆と行かんで良いのん?」 『君は』という言葉に子供扱いされているような気になり、少し腹が立った。 「…客を一人にする訳にはいかない…それに、俺の名は加藤虎之助だ」 思わず少し怒気の混ざってしまった声音に、虎之助は顔をしかめ、彌九郎は目を瞬かせる。 「虎之助はんどすか。申し遅れました。小西彌九郎です」 一瞬思案するような顔をして、崩していた足を正し、柔らかな笑みを浮かべて頭を下げた。 彌九郎の声に乗って音になる自分の名が、全く違う名に聞こえ、挨拶の為とはいえ、自分に笑みを向けてくれた事に喜びを覚える。 (…何故だ?) 内に考えを向けようとする意識に、折角足を崩したというのに、正させてしまった事をどうにかしなくてはいけないと思い、しかし、何て言って良いものかが考えつかない。 (くそっ…何故皆して出て行ったんだ!) せめて、対応の上手い紀之介位残っていてくれれば、と食べ物をせがんだ市松と、承諾した紀之介に恨み事を言った。 「あの…その…楽にしていて、構わない」 やっと出てきた言葉が精一杯だった。 思わず照れ隠しに外方を向いてしまった虎之助の目の端で、彌九郎の肩が揺れた。 「ふふ…なら、お言葉甘えさせてもらいます」 そっと寛ぐ所作が、なぜか武芸の流れを思い起こさせる。 (…そういえば、あの牡馬は結構立派だったな) 他に客人が居ない以上、あの栗毛は隆佐達の馬に違いない。 商家とは云え、城持ちの秀吉と渡り合う屋号を考えれば、かなりの大店だろう。 武将屋敷に出入りすることを思えば、武芸にしてもどこかで形だけでも手ほどきを受けたのかもしれない。 (でも、道じゃ、市松にぶつかりそうになってた…) ちら、と盗み見ると、彌九郎が崩した足に手を添えて微かに眉間を寄せている。 「…大丈夫か」 虎之助の声に、彌九郎が肩を揺らした。 「ははっ、ほんま格好悪ぅて、勘忍しておくれやす」 袴の上から足を摩る細い指先に、先程の出来事を思い出す。 「大丈夫だったか…?」 「はい?」 過去形の労りの言葉に、彌九郎が小首を傾げた。 ぶつかりそうになっただけで、実際にはぶつかってはなく、怪我もしていない事を今更聞いた所で解るはずもない。 しかし、言葉に出してしまっては取り消す事は出来ず。 「いや、…」 「はて?虎之助はんとは、以前何処かでお会いしましたやろか?」 「え…?」 胸に引き寄せた時、確かに顔を見たはずだ。 あの時程の印象は無いものの、薫るあの匂いは一緒で、別人であるはずはない。 全く覚えが無いといった表情の彌九郎に虎之助は愕然とした。 「虎之助はん?」 黙ってしまった虎之助を窺う様に彌九郎が声を掛ける。 「あ、いや、先程此処に来る前に、人にぶつかりそうになっただろ?」 一瞬の出来事だ。覚えていなくても仕方ない。 現に当事者の市松とて彌九郎に気付いていなかったではないかと、努めて冷静になろうとして、先程の話をした。 「…人に?…あっ、ああ!」 「…その時、腕をひいた方だ…」 やっと思い出したらしい彌九郎が一瞬苦い顔をしてから、笑顔を返す。 「…あん時は、失礼しました。お陰で怪我もありませんよって、えろう助かりましたわ」 「礼が欲しくて聞いた訳では…怪我が無くて良かった」 足をさすっていたのは、本当に痺れていただけだと安心した。 「親父殿に、秀吉様が作らはった町を見てこい言われましてん。あちこち見とったら、人に気付きまへんでしたわ」 恥ずかしい事でと、苦笑を浮かべる。 確かに、あの時も同じ事を言ってはいたが、そのような理由のある脇見なら仕方がない。 いや、寧ろこちらが配慮すべきだったのかもしれない。 何しろ、発端は自分の発言なのだから。 先ほどから気を使わせてばかりいる彌九郎に、虎之助は再び申し訳ない気持ちで一杯になる。 (くそ…っ) 仕事柄かもしれないけれど、ずっと彌九郎は柔らかな笑みを見せてくれているのに、自分は苛立ってみたりと青臭さが悪目立つばかり。 様々な謝罪を込めて、虎之助は小さく頭を下げた。 「――…すまない。謝るのはこちらだ。その…俺が、花の香りを探して、ふらふらしていたから…あんたは悪くない」 生真面目な虎之助の態度に、彌九郎が驚いたように瞬く。 続き ブラウザを閉じてお戻り下さい。 |
考えてみたら、長浜時代の話って書いてないなぁって。 一目惚れ清正のお話です。 無駄に長いですよ(笑) 20070213 佐々木健&司岐望 |