信じる心、疑う気持ちB 清正×行長 |
甘えるような猫の鳴き声に、如安は薄明かりの漏れる部屋に近づいた。 縁の下かどこかから、入り込んだのかもしれない。 (殿に見つかったら、また飼う言わはるに決まってるし) 見つかる前に捕まえて、里親を見つけるかしなくては。 如安は、驚かさないようにそろりと障子開けた――が。 茶虎の仔猫は、既に里親を見つけていたらしい。 寛いだ着物姿で戯れているのは、紛れも無い如安の主・行長だった。 「……殿」 「あ。見つかった」 舌を出し、バツの悪そうな顔を見せる行長は、どうやら鈴の付いた紐を猫に結わえたかったらしい。 上手く結べずに何度か引っ掻かれたのか、手の甲に傷が出来ていた。 「仮病使って、猫遊びですか?」 貸してください、と紐を奪う如安に、行長は口ごもる。 「仮病やあらへ…」 仔猫を抱えたまま行長の動きが止まる。 何事かと思い、如安が顔を上げると、行長は目を見開き、その目には明らかに怯えが宿っていた。 「と…」 「彌九郎…」 言葉を遮る様に行長の幼名が呼ばれる。如安が振り返ると、其処には余程の勢いで走って来たのか、髪が乱れ肩で息をしている清正が立っていた。表情には怒りや焦り、そして怯えが混ざっている。 「…彌九郎」 清正が一歩部屋に踏み込むと、行長の体がガタガタと震え始めた。 「い、や…いやや!」 仔猫を掻き抱き、部屋を飛び出す。 「彌九郎!」 「殿!」 走り去る行長を追い掛けようとする清正を如安は呼び留めた。 「加藤様!」 呼び止められた清正は如安を睨みつける。一刻も早く行長を追い掛けたいといった感じだ。 「…加藤様、今殿を捕まえた所で、まともな話が出来るとは思えません。私が必ず連れて参りますので、どうか此方でお待ち下さい」 如安の言葉を聞いて、清正はうつ向き、目を閉じ小さく溜め息を吐いた。 邸の一番奥の部屋の前に辿り着くと、猫の鳴き声が聞こえる。 「殿…」 障子越しに声を掛けると、向こう側で息を飲み身じろぐ気配がした。 「加藤様がお待ちですよ」 返事は無く、仔猫の哀しそうな鳴き声が聞こえるだけだ。それでも如安は話続ける。 「加藤様の噂を聞きました。殿はソレを信じるのですか?」 「……罰が当たったんや…」 仔猫の鳴き声が止む。 「デウスの教えに背いとる俺やもん…罰が当たって当然や…」 沈黙がおりる。 如安は目を閉じ、静かに息を吸い込むと障子を開いた。 仔猫を抱き、懺悔をするように天を眺める行長の姿がある。 「確かに、衆道は禁じられております」 「そうやな…」 視線を仔猫に移し、小さな背を撫でた。 「貴方は命を尊び、キリシタンを守り、他の宗派の者達も愛した。そんな貴方がその事だけで罰が当たるのなら、私はデウスに抗議致します」 真っ直ぐと行長を見つめ話す如安に、行長は顔を上げ、目を見開く。 「何を言うとるんや!」 「殿は加藤清正という【人】を愛した。それで良いではないですか。殿と加藤様は魂で繋がっている。そう思えたから、私は殿に仕えているのですよ」 「如安…」 消え入りそうな声音に、如安はゆっくりと膝を折った。 聖書では無いけれど、ラテンの詞を思い出し、不安に怯える主君に投げ掛ける。 「…もし、愛される事を望むなら、自分から愛しなさい」 「――…」 「殿の想いは、消えないのでしょう?」 逃げることは、自分の気持ちからも逃げること。 如安の台詞に、肩が震えた。 「…わかった…」 呟きに応えるように、仔猫が行長の指先に小さな鼻を押し付ける。 小さな応援者の背に、行長は顔を埋めた。 廊下を歩き、清正の待っている部屋へ向かうが、近付く度に進める足が遅くなり、遂には止まってしまった。 ―――怖い――― 清正から告げられる言葉を考えると、足がすくみ、膝が震えてしまう。 『私は偶然が勘違いを呼び誤解を生んだのだと思います』 先程、仔猫に鈴を付けながら如安が言った言葉を思い出す。 「…誤解…」 チリンチリン… 鈴の音が聴こえ、振り返ると如安に預けた仔猫が鈴を鳴らしながらおぼつかない足取りで走ってきて、行長の足に擦り寄る。 「なんや、お前如安から逃げ出してきたん?」 しゃがみ込み仔猫を抱きかかえると、嬉しそうに一鳴きした。 「後ろばっか見とるのは、俺の性に合わん」 ―――前を向かなくては――― 答える様に仔猫が「ナウ!」と鳴く。 部屋に着くと、清正は片膝を立て、そこに顔を臥して座っていた。 「虎之助…」 呼び掛けに、ゆっくりと顔を上げる。 此処に着いた時よりは幾分落ち着いているものの、表情は暗い。 「…彌九郎」 「さっきは取り乱してもうて、悪かったなぁ」 笑みを浮かべ清正の前に座る。 清正も立てていた膝を直した。 続く |