信じる心、疑う気持ちC
清正×行長






「――夜着では、ないんだな」

暗に、病の事を指していたのか、衣を見つめた清正の唇から、安堵の吐息が零れる。
しかし、未だその表情は険しく、行長は視線から逃れるように、膝の上で丸くなる仔猫の背に目を伏せた。

「うん…」

清正の戸惑いが、空気を伝って感じられる。
微かに唇を湿らせる音が聞こえ、逡巡の間を経た清正が、かさついた声音で問う。

「……帰らねばならぬのか…?」
「…――」

見舞いを断る口実に、流行り病を持ち出してくれたのは如安だった。
勿論、流行り病などではなかったけれど、身体が不調を訴えていたのは本当だ。

(…どないしよ…)

女々しいと言われるかもしれないが、目の前の男の言葉一つで宇土行きの件は決まる。

「――分からへん」

震えはしていなかったが、自分が思うよりも小さな声に、行長は唇を噛んだ。

(顔が、上げられへん…)

清正が纏う気配に、怒りが混ざりはじめたのが解る。緊張を感じ取ったのか、行長の膝から仔猫がするりと逃げ出した。

「俺には、嘘をつくな…っ!」

不動の山が、動きだす。

「……っ!」

強く暖かな男の腕が、少し痩せた肩を掻き抱く。突然の苦しいほどの抱擁に、行長の身体は抗えずにしなり、嗅ぎ馴れた体臭にじわりと涙が浮かぶ。

「や…っ、離し…!」
「何故だ…」
「!」

拒絶の言葉と竦んだ身体に、清正が哀願めいた仕種で顔を埋める。

「佐吉から、お前が発つかもしれぬ理由を聞いた…お前の口からではなく、佐吉からだっ!」
「――っ」
「病ではなく、俺の…妾の噂の所為だと言われたが、そうなのか…?お前は、そんな噂話に揺れる程、俺を信じてはいないのか…っ!?」

清正が、くぐもった声で嘆く。
泣いているのかもしれないと思ったのは、肩口がじわりと熱く感じるせいだ。
震える指で、行長は清正の袖を握り締めた。

「…せやけど、ほんま、噂なん…?嘘つきは、俺やなしに虎の方ちゃうのん…っ?」
「何を言って…っ」
「あないな顔してっ!優しゅうしてたやん…っ!」
「…あんな顔?何の話だ?」


―――どうしよう?言ってしまったら―――このまま―――


「…妾が出来たっちゅうんは?」

袖を掴んでいた手に力が入り、掌に爪が食い込んでいく。

「居る訳ないだろ!」

噂を鵜呑みにする行長に声を荒げ、鼻先が触れそうな距離で目を合わせる。

「…そんなに俺は信用ならないか?」

清正の瞳にも涙が滲んでいる。


―――信じたい―――信じていたい―――信じてる―――


(でも気持ちが追い付かないんや…)


―――好きだから―――愛しているから―――不安が支配する―――


視線を外す事ができず、次第に呼吸が乱れ、浅い呼吸を繰り返し、目を閉じる。
閉じた目から溜っていた涙が溢れ落ちた。
何も言わずに涙を流す行長の肩に置いた手に力を入れる。
薄くなった体は骨の感触を伝え、清正の胸に更なる痛みを植えつけた。

「彌九郎…」

引き寄せようとすると、行長は腕を突っ張りそれを拒む。

「も、いやや…こんなん。俺やない!もう、こないな思いはしたない!」

様々な思いが渦巻き、爆発したように、全身で清正を拒否する。

「嫌や…っ」

清正の存在に一喜一憂し、掻き乱されてマトモな判断が下せなくなる自分がとても怖い。

「彌九郎、俺を、拒むな…っ」

力で勝った清正が、再び行長を掻き抱く。

「離し…」
「離さん!拒む理由を、俺はまだお前から聞いていない!俺には妾は要らん!お前が要ればいい!それでは駄目なのか!?」

「ふ…っ」

清正の怒声に、腕の中で拒絶するようにもがいていた行長が、唇を噛んで顔を上げる。

息が苦しい。
涙に濡れた視界がまるで水中の景色のようで、行長は自分を覗き込む清正の表情が怯えに似ていることを感じながら拳を握りしめた。

「嘘つき…っ」
「だから、何がだ!」
「笑ってたやないか!」

するりと、喉の奥につかえていた言葉が零れ落ちる。

「夕暮れに…道でっ!俺だけやのぉて、紺色の…っ」
「――っ」

ぽかり、と唐突に胸元を叩かれて、清正が言葉を失う。
頑是ない子供のような振る舞いをしたいのは、清正も同じだったが、行長の言っている意味が分からない。

「…お前はさっきから何の事を言っているのだ!」

成り立たない会話では、平行線を辿るどころか、悪い方向にしか向かっていかない。


―――何を思い、何を疑い、何に涙し、何を拒絶して、何にすがっているのか―――


「虎がっ…お前が手を差し延べた…っ」

息が詰まって言葉まで詰まる。自分が何を言いたいのか、分からなくなり、ただ流れ落ちる涙が頬を伝い、握り締めた拳に落ちた。

「言え!お前は何を見た?」
「ふ…っ」

うつ向こうとする顔を手で固定し、逃れられなくする。
行長はその手に自分の手を重ね、爪を立てる。

「お前が手を差し延べ、その手を取った女は何や!?」

手に爪が食い込み、傷を付け血が滲んでいく。

「っ…そんな女など知らん!」

再び清正から逃れようと、ありったけの力で抵抗し始め、行長の腕の長さだけ間が出来た。

「しらばっくれんな!俺の事なん、どうでもエエんやろ!」
「どうでも良いだと?…お前は何を聞いてた!?俺は、俺には彌九郎、お前しか必要としていない!」

二の腕を力任せに掴み、痛みに行長は顔を歪ませる。

「つぅ…じゃあ、あの女は何なんや!」
「知らんと言ってる!そんな記憶にも残らない女の事など!それこそ、俺にとってどうでも良い!」

(記憶にも残らない女…俺の勘違いなんか?でも…)

涙の止まった目で清正を睨みつけ、清正もそれを真っ向から受けとめた。

「優しそうやった!虎、笑っとったやないか!」

誰彼構わず笑顔を見せる事の無い清正が優しく微笑み、手を差し延べた相手だ。

「お前が言ったのだろう!?いつも顰め面してないで、特に女には笑ってやらないと、怖がられるぞ、と」

漸く行長が何を見て、噂を鵜呑みにした訳が解ったと、清正は掴んでいた腕を緩め、行長はだらりと腕を落とす。




『虎は、いっつも眉間に皺寄せとるで、しかめ面ばっかせんと、特に女の子には優しゅう笑顔で接してやらんと、怖がられんで』
『別に構わないだろ…』




あの時そう言って、少し拗ねた様な表情をしてた。




「――…」
「…彌九郎」

放心していそうな行長の名を、労るように口にする。
揺らぐ瞳が、懸命に真実を見極めようとしているようで、清正は導くように呟いた。

「全て、誤解だ」
「――…」

清正の言葉をなぞるように、行長の唇が震える。
眦から滑り落ちた涙が、ぱたりと音をたてて畳を濡らした。

「彌九郎…」
「――そんなん…俺、言うたことも忘れて…」
「…お前の言葉は、お前が忘れても、俺が忘れん」

呆れたような苦い笑みが、清正の頬に浮かぶ。
見上げた瞳に自分が映っていることに、行長の胸が甘く痛んだ。

「…ほんまに俺が、言うたからなん…?」
「あぁ…」

次第に俯き加減になるのを、清正の掌が優しく止める。

「…薬種屋を見て、お前を思い出してた。そこから出て来た女が躓いて、お前の言葉が浮かんで…俺は、全部、お前の事しか考えてなかった…」
「虎…――」

傷つけてしまった手の甲に、行長が恐る恐る手を伸ばす。
涙に濡れ、熱を孕んだ瞼を指の腹で緩く撫でられ、行長は静かに目を閉じた。

閉ざされた瞼に口付け、涙が通った頬を辿り、震える唇を優しく塞ぎ、震えていた唇を舐めると、薄く開かれる。
そこから舌を侵入させ、歯列をなぞり舌を絡め、清正は行長の腰を引き寄せて、体も密着させた。

「んっ…ふ…」

行長の吐息が溢れ、それすらも奪う様に深く唇を合わせる。
次第に清正の肩に置かれた手が震え、上半身が後ろへと傾く。
そのまま横たえようと、清正が行長の背に手を回すと、軸にしていた手の傷に針が刺さる様な痛みが走った。

「つっ…」
「虎?」

清正の変化に行長も気付き、下を見ると、茶虎の仔猫が清正の手の傷に爪を立てて乗っかっている。

どうやら、清正が行長をいじめていると思っているらしく、仔猫なりの最大限の攻撃のようだった。
どうにも手に爪を立てたまま動かない仔猫に、清正は溜め息を吐き、行長を解放する。

「お前、どないしたん?」

仔猫を抱え上げると、小さな舌で行長の頬を舐める。
目の前では清正が良い所を邪魔されたと少し不機嫌そうだ。

「ほれ見てみぃ。虎之助が怒っとるやん」

仔猫を清正の方に向けて行長が笑う。
向けられた仔猫の頭を清正が撫で、最初体をこわばらせたものの、元来動物好きの清正の事が解ったのか、目を細めておとなしく撫でられている。

「お前の猫か?」
「ん〜今日な、迷い込んで来てん。コイツ連れて宇土に帰ろ思ってたんよ」


虎之助の代わりに…という言葉は隠して。


「…『思ってた』って事は、今はそう思ってないんだよな…?」
「…うん…」

確かめるような清正の口調に、行長がそっと頷く。
清正のついた吐息は、安堵のそれにとても似ていて。

「きっと、心強い同行者だったろうにな…」

行長の心中を知らぬ清正は、微かに肩を竦めて口端を緩ませた。

「うん…せやなぁ…きっと、心強かってんな…」

柔らかい、日向の匂いのする、小さな背に顔を埋める。

「彌九郎…?」

清正の指が、仔猫から行長の頬へと移る。
涙の跡を辿るように指を滑らせると、いつの間にか仔猫も労るように行長の頬を舐めていた。

「ニャォ…」
「――…お前…」

行長の呟きに、仔猫が小さく鳴く。
鈴の音をちりと響かせて、するりと抜け出したその背に、行長は思わず手を伸ばした。

「あっ!トラ、何処い…!!」

仔猫に延ばしていた手で口を塞ぐ。
その間に【トラ】と呼ばれた仔猫はチリンチリンと鈴を鳴らして走って行ってしまった。

「彌九郎…」
「いや、な。茶虎の猫やってん。安直にな…」

茶虎の仔猫故、【トラ】という名前にした。なんてみえすいた嘘だ。

「そうか、トラ…か」

清正は口に笑みを浮かべ行長を見やる。対して行長はひきつった笑みで、そろそろと後退った。

「そうそう。別に他意は無いねん」

後退る行長の背にトンっと何かが当たる。後ろは柱だった。

「彌九郎」
「へっ?うわっ!」

後ろに気を取られている間に、清正は目の前に来ていた。

「――そんなに【トラ】と一緒に居たかったのか?」
「う…」

お互いの鼻先が擦れ合う距離で、清正が意地の悪そうな顔で笑う。
墓穴を掘るところをしっかり見られているだけに、行長の顔は赤みを増すばかりで。

「観念しろ」
「――っ!」

肉食獣にぺろりと唇を舐められて、行長は今や姿形のない仔猫に向かって手を伸ばした。

「や…っ、やっぱり、宇土に帰るっ!!」






痴話喧嘩は、犬も食わないと云うけれど、猫ならば尚更見向きもしないもの。
行長の小さな救い主は、背にした懇願に一声鳴くと、鈴の音を響かせながら歩き出した。
もちろん、新しい住まいであるこの屋敷を探検するために。







終わり。


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何故かこんなにも長い話になってしまいました。
キヨコニなのに、清正も行長も出番が少ない(笑)
三成が頑張りましたよ。
正則は吉継への想い自覚前なので、吉継が可哀想な感じでフェードアウト(笑)

長々とお付き合い有り難う御座いましたvv
拍手、有り難う御座いましたvv

20070118   佐々木健&司岐望