信じる心、疑う気持ちA 清正×行長 |
寒さに鈍る指を暖め、山となった書状に筆を走らせる。 手に取ったのは、数日前に決済の申請を請われたものだった。 「やっともどってきたか…」 目を通すべき人物の氏名と花押を確認し、筆に墨を含ませる――が。 「――おい。これは何だ?」 険しい表情で筆を置いた三成が、ゆっくりと顔を上げる。 とん、と扇子の先で書状を指され、持ち込んだ使者は怪訝そうに首を傾げた。 「何、と仰せられますと?」 「正式な認可には、一人足りない。格下が一人混ざっている」 半眼で突き返された書状に、使者が戸惑う。 「ですが、期限付きの書状故、本日お持ちした次第でして…」 「ふん。頭数が合えば、目暗印だとでも思ったか?この者の上役がいるだろう。そちらの経緯は俺には関係ない」 認可出来ぬ、と斬るような冷たい三成の口調に、使者は肩を落とす。 「しかし、小西様の御不在時、代理で任されている者であることには違いなく…」 「待て。小西、だと…?」 「は。三日ほど前より、臥せておられるとかで」 小さく頭を下げる使者の台詞に、あの夜の引き結んだ固い表情が思い出され、三成の唇から重いため息が零れた。 「…判った。御苦労」 三成の言葉に安堵の表情を見せ使者が部屋を辞す。 それを見送り、三成は目を閉じた。 行長は気分で仕事を放り出す人間ではない。多少の病気でも、やるべき事はする。 そんな行長が三日も―― あの日、確かに落ち込んではいたが、帰る時には随分落ち着いていたはずだった。後は当人同士で話し合えば大丈夫だと思っていたのだが…。 ―――何をしたのだ。あいつは? 頑固で律儀者の清正の顔を思い浮かべた。 今直ぐにでも、向かいたいところだが、なにぶん仕事に追われている。これを放りだしては、自分の信用問題に関わるし、ぎりぎりで進んでいる政務が滞ってしまう。 とにかく、一刻も早く仕事を終えなければ、と筆を走らせた。 夕方に差し掛かる頃、 「少し良いかな?」 戸の向こうから声が掛った。 三成が気兼無く付き合える親友、大谷吉継だ。 「ああ、珍しいな。此処まで来るとは」 吉継は発病してから暫くは出仕してはいたものの、最近は出仕の回数は減っていた。 「突然本題に入るけど…彌九郎が伏せっている。と言うのは聞いているかい?」 「ああ、今日聞いた」 普段何があっても柔らかな雰囲気を持っている吉継が、深刻そうに暗い表情をしている。 「私も昨日知ってね。今日、見舞いに行ってみたのだけど…」 病気ではないだろうと思っている三成だが、吉継の様子に、まさかと思う。 「流行り病だから、会えないって。虎之助にも会ってみたんだ。虎之助も昨日行ったそうなんだけど、会えなかったって」 「そうなのか…」 吉継自身、行長が病気とは思っていないのだろう。目が「何か知らないか?」と語ってい た。 三成は吉継の言った事を反復する。 清正も行った?行長と何かあったのではなかったのか? 「先日、行長が突然訪ねてきた…その時随分と張り詰めた様子だったが…」 その原因は清正だろうとは思う三成だが、行長が何も言わなかった為、確実とは言いきれない。推測を吉継に告げる訳にはいかないと話さなかった。 しかし、勘の良い吉継だ。気付いてはいるだろう。 「そう…彌九郎、明日療養の為に宇土に帰るって…」 軽く伏せた睫毛が、吉継の頬に影を落とす。 人を寄せ付けず、見舞すら断り、宇土よりも遥かに医療事情が高いこの地を離れ隠遁生活を選ぶなど、流行り病としてはあまりに急な話だ。 微かに肩を震わせる吉継に気付き、三成は奥歯を噛み締めた。 「早合点だ、紀之介。理由は他にある」 「…っ」 早計な断言ではあったが、吉継が怖れている同病の懸念だけは打ち消してやりたかった。 三成は、自分にしか見せない吉継の不安気な表情に苦笑を浮かべると、書簡の束に目をや り、小さく頷いた。 「仕分けだけしたら、今日は終いにするつもりだ」 「…なら、供に餡子餅でも用意させようかな」 穏やかに笑み、吉継が立ち上がる。 「半刻したら、また顔を出すよ」 「半刻か…」 「うん。半刻」 げんなりした口調で復唱する三成に、吉継が肩を揺らして笑う。 「じゃあ、あとで――」 部屋の障子に、大きな影が映ったのはその時だった。 「おーい、ここに虎之助はおるかのぅ?」 「!?」 絶妙なタイミングで開いた空間に、吉継の身体が傾ぐ。 「紀之介っ!?」 「うお…っ、と」 がたり、と立ち上がる三成よりも先に吉継の身体を支えたのは、応えも待たずに障子をあけた張本人だった。 「何じゃ、紀之介か!急に懐に転がり込んでくるから、びびったのぉ」 抱き留めるような格好で不思議そうに見下ろす男に、三成が眉をひそめる。 「早く離せ、市松。紀之介が窒息する」 「ん?おぉ、すまん」 三成に促され、正則は腕の力を緩めた。 余程苦しかったのか、うっすらと吉継の頬が赤い。 「大丈夫か?」 「う、ん…平気」 即座に離れようとする吉継の肩を掴み、正則は顔を覗き込む。 「顔が赤いぞ?本当に大丈夫か?」 「ちょっと驚いただけだから…え、と…虎之助探してるの?」 覗き込まれて余計にうつ向き、目を合わせない様に正則が此処に来た理由を尋ねる。 「おお!そうじゃ。聞きたい事があってのぅ」 未だ吉継を支えたまま部屋に入り、二人に尋ねる。 「聞きたい事?」 三成は正則が何か知っていると考えた。 吉継もチラリと正則を見る。 「おう。女共の噂でな。虎之助に最近妾が出来たという事じゃ」 手を顎に添え、考え込むように昨日聞いたという噂を二人に話す。それを聞き、吉継は目を見開き、三成は立ち上がった。 「え?」 「妾だと…?」 行長が落ち込み、宇土に帰るという訳がやっとはっきりした。 「紀之介、先程虎之助に会ったと言っていたな。何処に居る?」 「さっきは城内に居たけど…もう帰るって。でも佐吉ちょっと待って。虎之助に妾だなんて考えられない…彌九郎の事すごく心配してた」 今にも部屋を飛び出しそうな三成を必死に引き留める。 「そうじゃ!噂は尾ひれが付くもんじゃし…」 噂を持ってきてしまった正則も、何かの間違いだろうと清正を庇う。 「…噂を鵜呑みにする訳ではないが、火の無い所に煙は立たないというよな…それに、彌九郎の態度も気になる。噂の原因になった所に居合わせたのではないか?」 吉継が息を飲む。 行長の状況を知らない正則は首を捻った。 「なんで、そこに彌九郎が出てくるんじゃ?」 清正の話をしているのに、と訝しがる正則を、吉継が困ったように見上げた。 「…数日前に、佐吉の所に顔を出してから、出仕を控えているみたい。詳しくは判らないけど、病に罹ったとかで…宇土で療養するって」 「んむ?なら、病気なんじゃろうが?」 あまりに素直な反応に、三成がこめかみを押さえる。 肩を支える吉継からも「本当、鈍いんだから…」と呟かれ、正則は頭を掻いて眉を寄せた。 「う…そんな目で見んでも良いじゃろ。ワシゃぁ、単純な事しか判らん。病気の彌九郎が宇土に行くのに、虎之助の妾話が何ぞ関係あるんか?」 「気付け馬鹿者。普段の彌九郎なら、いつもの調子で騒ぐ所だが、この沈黙だ。彌九郎の病は、尾鰭が付いたそれを釣り上げる所を見て、毒味もせずに食らってみたんだろう…それでなければ、あんな顔はしない」 立ち上がったままだった三成は、机を一瞥すると、文箱の蓋に手を伸ばした。 この事柄を解決しなければ、明日以降も仕事が増えるばかり。 友人の大事と共に、いっそうの激務を思い、三成は目が眩んだ。 「――まずは、噂の真相確認か」 清正の釣果がどのようなものだったのか。 ふつりと湧き上がる苛立ちを抱え、三人は夕日が差し込み始めた廊下に踏み出した。 「…冷えるな」 部屋の中に居た時は気にならなかったが、やはり階下に下る程じわりと足元から冷たさが忍び寄る。 振り返った三成は、吉継の顔の赤みに目を細めた。 「紀之介、大丈夫か?」 先程から様子のおかしい吉継に声を掛ける。行長の事を聞いて無理して登城してきたのだろう。三成と正則はそう考え、正則の腕に抱えられている吉継を心配した。 「…大丈夫。だから降ろして」 「そうかぁ?無理して倒れたら洒落にならんぞ」 「そうだぞ。そこの無駄に丈夫な奴に送ってもらうと良い」 「無駄とはなんじゃ!無駄とは!っと、スマン」 三成に食って掛った際に吉継を抱く手に力が入り過ぎる。 (もう、消えちゃいたい…) 正則に秘めた想いを抱える吉継は、ただただ気持ちを抑える事に必死だった。 そうして正則に吉継を任せて別れた三成は、急ぎ足で清正の邸に向かう。 陽が沈み辺りは群青の空が広がりつつあった。 ―――ただの勘違いであってくれれば良いのだがな…。 続き |