信じる心、疑う気持ち@
清正×行長







「う〜さむ〜」

まだ冬も真っ盛りな夕暮れを本日の出仕を終えた行長が少し身を縮めるように屋敷に向かい歩いていた。
角を曲がった時に道端に二つの人影を見付ける。一人は女性で、もう一人は行長も良く知る清正だった。

「虎やん」

声を掛けようと思った時に清正の手が女性に伸ばされ、女性は恥ずかしそうにその手を取る。

「え?」

声を掛け損ねた行長に気付く事なく、清正と女性は向きを変えて歩いて行った。


―――なに?―――どうして?


行長は今来た道を走り出す。

何処に向かっているのか、自分でも解らなかった。








「…――」

ふと、頁をめくる手元に己の影が落ちる。
燈された明かりの存在に気付き、三成はゆるゆると顔を上げた。
見れば、目の前に苦い顔をした男が胡座をかいている。

「…殿。この夕暮れ時に読書とは、目に悪ぅございますよ?」

左近の小言に、三成は本を閉じると、

「気付いたら、夕暮れ時だったのだ」

俺の所為では無い、とでも言いた気な表情を見せ、新しい和綴じの本に手を伸ばす。
いつものやり取りに、左近は小さく肩を竦めた。
少し冷えた室内の火鉢はすっかり灰に被われていたが、明かりを得た三成は、恐らく当分の間その場から動くことはしないだろう。

(仕方が無い…)

主君に風邪をひかすわけにはいかない。
立ち上がった左近の耳に、廊下が軋む音が聞こえた。
丁度良い。控えの者が近くに居たらしい。

「おい、誰か――」

炭を、と言いかけた言葉を、左近は思わず飲み込んだ。

「あなたは…――」

廊下に佇んでいたのは、手燭を翳した小姓と、美しい口元を引き結ぶ男が一人。

「…左近、どうした」

怪訝な面持ちで声を掛けてきた主君に、左近は軽く視線を戻すと、

「殿。御客人の御様子ですよ」

するりと障子を開け、来訪者の名前を口にした。

「小西様がお見えです」




「突然来て、堪忍な…」

その言葉を言ったきり行長は口をつむり、畳の目を数えているかの様に視線を落としていた。
人の感情に疎いと言われる三成でさえも、これは何かあったな。と思い、先程受け取った炭を火鉢に入れていく。

「酒でも飲むか?」

問い詰められるかと思っていた所にこの言葉だったので、行長の肩が少し揺れる。何気無い優しさが有り難く、申し訳なかった。

「…ううん。なんや、そないな気分には、なれへんねん」

普段コロコロと表情を変え、楽しそうに話す行長が一切顔を上げずぽつぽつ話す姿に、三成は原因を考える。

「茶でも持ってくる」

自らが行く必要は無いのだが、一度一人にした方が良さそうだったので、三成は部屋を出た。

(何で、さきっちゃんトコに来てまったんやろ…)

一人の静寂に包まれた空間で炭の燃える音が小さく響いた。




―――あんな優しい顔なんて見た事無い。




胸の奥が、チクリと痛む。
袷の上から掌で心臓を押さえれば、信じられない早さで鼓動が伝わってきた。

「あかん…落ちつかな」

呪文のように繰り返し、深く息を吐く。
清正の手を取りはにかんでいた娘は、正直、どこぞの姫とは言い難い、ありふれた紺地の着物を身につけていた。

「奉公の娘やろか…」

元来、清正は家柄血筋を求める男では無い。
確かに、仕事に関しては縁故を重んじる部分はあるが、それ以外では簡潔で単純な、気が合うか合わないかで箱を分ける節がある。

(虎、優しそうやった…)

ただ一緒に居る所を見ただけで、確かに何の確証も無い。
しかし、人付き合いが得手とは言えない、清正のあの表情――しかも、女性に対して、だ――を見てしまうと、一概に可能性を否定できない。

「ふ…っ」

震えそうになる唇を、今一度強く噛み締める。

(…さきっちゃんに、旨いお茶一服よばれて、ついでに虎の小さい頃のアホな話でも聞かせて貰おう…)

本当に、三成の所に来た理由は、自分でもよく判らない。
ひょっとしたら、自分と虎之助の仲を知っている人物と一緒に居ることで、安心したかっただけかもしれない。

炭が身じろぐ微かな音に姿勢を正すと、行長は静かに瞑目した。





暫くして、椀を乗せた盆を持って三成が部屋に戻ってくる。

「待たせたな」

平素と変わらぬ顔で真っ直ぐと行長を見る三成に懸命に笑顔を返し、

「さきっちゃんの茶、飲むの久しぶりやね」
「そうだな」

勧める茶を受け取り、一口飲むと、じんわりと体に染み込んでいき、その温かさに泣きたくなる。
それをグッと堪えて、行長はおどける様に三成に尋ねる。

「なあ、秀吉様に仕える様になった頃の事、聞かせてくれへん?」
「仕える様になった頃?長浜に居た頃か?」

そんな昔話を聞かれるとは思ってなかった三成は少し驚くが、行長の落ち込んでいる理由に確信を持った。


―――やはり虎之助か。


「(しかし、聞いたところで素直に認めそうにはないな…)そうだな…」

三成はまず、自身が仕え始めた頃の近江の様子、秀吉の立場、自身の心境等を話していく。
今の行長にとってはどうでも良い事だと三成も解っていて、それでも行長は頷きながら聞 いている。

「あの頃は色んな事があったな…」

懐かしむ様にさりげなく清正の話に移してしていく。
途端に行長の肩が小さく揺れるが、三成は気付かない風に話を続ける。

庭で正則や嘉明を交えて刀の稽古をしたり、勝ち抜き戦をして、清正が勝ち吉継に挑んで返り討ちに合ったり、まだ小さかった長政をあやそうとして、逆に泣かせて、ねねに叱られたり、と清正を中心とした思い出話を話していった。

「虎はホンマ、やんちゃやってんなぁ…」
「肥溜めに片足突っ込んだ時は、一刻半は風呂から出て来なかったな」
「極度の綺麗好きやもんな」

行長は、三成が敢えて清正の話ばかりをしている事に気付けずに、頷きながら泣きたくなる気持ちを抑えて笑った。



「殿…」
「あぁ」

いつの間に控えていたのか、障子越しの左近の呼び掛けに、三成が短く応える。
火鉢の炭に軽く灰を被せると、三成は手持ちの扇子をぱちりと閉じ、

「彌九郎。良い鴨肉が手に入ったのだが、一人では食い切れん」

肉、好きだったろう?と真剣な顔で問われ、行長は緊張していた肩の力を抜いて、こくり、と頷いた。

「おおきに。大好物や」




膳が運ばれてくる。
鴨とえんどうのじぶ煮、いんげんの胡麻和え、鰯のつくね焼き等と共に酒も運ばれてきた。

「俺が飲みたいんだ。少し付き合え」
「突然来たのに、こんなんしてもろうて…」

申し訳ないと言うのを、三成が遮る。

「気にするな。遠慮等無用だ」

三成に酒を注がれ、一口のむと、柔らかな口当たりのやや甘い酒が口内に広がる。

「美味い酒やなぁ」

杯を見つめて感嘆の声を出す行長を、三成は目元を細めて微笑む。

「左近が見付けてきたものだ。気に入ったなら少し寄越そう」
「エエの?」
「ああ、何本もあるんだ」

そうして、酒やツマミ、話をして、軽く体が暖まる程度飲み、行長は三成の屋敷を辞した。







「…俺、手ぶらで行ったんに…こない土産まで貰うてしもうた…」

酒瓶を抱えながら、すっかり月が高くなった夜道を自分の屋敷に向けて歩いていく。
ふぅ、と吐いた息が、白く尾を引く。

「明日、虎に会うたら聞いてみよかな…」

三成からの話を聞いて、自分の知らない清正がまだ沢山いることに、行長は少し安心する。
瞳を細め、白く浮かぶ月を仰ぐ。
じんと鼻の奥が痛むのも、胸が熱いのも、きっと澄んだ冬の空気を深く吸い込んだ所為だ。

「うん…聞いてみよ」

三成の優しさを抱え直し、行長は立ち止まっていた足を踏み出した。






続き