蛍の光と河の音
清正行長








昔々のお話です。

左手を見れば、緑に萌える草原が。
右手を見れば、肥えた褐色の大地が。
どちらも果てなく彼方まで広がる、それは豊かな国がありました。
国の統治者は賢君と名高い男であり、その名を秀吉と言いました。
秀吉には優秀で気の利く沢山の子供がいましたが、中でも数字と貿易に秀でていたのは、彌九郎と言う名の息子でありました。
彼は他国との交易に都合が良いということで、他の者と一緒に城には住まわず、河のほとりに構えた屋敷で秀吉のために惜しみなく働いておりました。
その働きぶりは目覚ましく、いつしか彼なくしては政事に支障が出る、とまで言われる程になっておりました。
しかしそんなある日、思いもよらない出来事が起きたのです。









「よっしゃ!今日もようさん儲かりました!」

ぱたん、と満面の笑みを浮かべて帳簿を閉じた彌九郎は、いつものように燭台を手に取ると、一人河岸へと向かいました。
外は既に闇が落ち、蝋燭の明かりが唯一の目印です。
足を進ませる度に露草の柔らかな葉が足首を撫でるので、彌九郎は転ばないように一歩一歩を踏み締めて歩きます。

「到着っ」

さらさらとせせらぎが聞こえるその場所で、彌九郎は青い葉を揺らす枝垂れ柳の脇に立つと、燭台を掲げて河の向こうを見つめました。

「今日はおるかな?」

呟いた言葉に応じるように、彌九郎の側を小さな光りが飛び交います。
しかし、彌九郎が待っていたのは、蛍ではありません。
いえ、本来は蛍を見に来ていたのですが、いつしか相手が変わってしまったのです。

「…んー…ちょっと遅かったんかな」

彌九郎が肩を落とした訳は、とても簡単でした。
彌九郎は、対岸で自分と同じ様に蛍を見に来ていた人物に、いつの間にか恋をしていたのです。

「…って、恋やあらへんし!」

違う違うと首を振る彌九郎ですが、その思いは一目瞭然。
気になる相手でなければ、得にもならない夜の散歩など、一体誰がするでしょうか。
しかも、その相手と言うのは――。

「…っ、彌九郎…!」
「!」

突然後ろから掻き抱かれ、彌九郎は驚きの余り息を飲むばかり。
そうです。
今自分を抱きしめている、この強い腕の持ち主こそが、彌九郎が求めていた想い人である――

「虎之助…!?」

慌てて肩越しに振り返れば、そこには清々しい若さを備えた青年が、微苦笑を浮かべているではありませんか。
「何で!?」

問い掛けには、二つの疑問が含まれていました。
一つは、橋も無いこの河を、どうやって渡ってきたのか。そしてもう一つは、どうして自分を抱きしめているのか。
戸惑うように凝視すれば、虎之助は腕に力を籠めてきました。

「…会って、触れてみたかったんだ」

ひたり、と頬に触れた髪の冷たさに、彌九郎の心が震えました。
水を吸った着物は湿り気を帯びていて、それだけで虎之助の道程を窺い知ることが出来ました。

「アホやなぁ…」

呆れたような、擽ったいような、甘酸っぱい気持ちが彌九郎の胸に広がります。
そうです。虎之助も、同じ想いを持ってくれていたのです!

「虎…」

冷え切った虎之助を抱きしめるのは、今度は彌九郎の番でした。
燭台を落とさないように唇を寄せ、蛍にも聞こえないよう、耳元で静かに囁きます。

「家で、暖めたるから…」
「――っ!」

掠めるように交わされた口づけに、虎之助が肩を揺らしました。
見ているだけだった憧れの存在が、腕の中にいるだけでなく、自分の物になろうとしてくれているのです。
武者震いのような感覚が、家へと近付く度に虎之助を襲います。

「彌九郎…あんたに、逢いたかった…」

部屋に入り、寝所の明かりに照らされた彌九郎は、虎之助が今まで見た中で一番魅惑的でした。
無意識に喉が鳴り、彌九郎が可笑しそうに口端を緩めます。

「なんや、丸ごと食べられてまうみたいやなぁ」
「!」

気づいているのかいないのか。
彌九郎の台詞は、一言一句が虎之助を煽る危険な言葉ばかりです。
虎之助も、彌九郎の髪に指を差し込みながら、負けじと囁きます。

「…あんたの味、俺は知りたい…」
「虎…」

彌九郎の白く細い腕が、逞しい虎之助の背に回りました。
蝋燭に照らされた二人の影は、壁に一つになって映し出され、その夜は遅くまで揺れ動いていました。









翌日、彌九郎は虎之助と秀吉の元へ赴きました。
一緒に生きて行く事を選んだ二人には大きな障害があり、それは、秀吉だけが許すことが出来たからです。

「…多分、大丈夫だろ」

虎之助の呟きに、彌九郎は居心地悪そうに辺りを見回します。

「うん、まぁ、本当の兄弟ってわけでもあらへんし」

絢爛豪華な装飾に目をチカチカさせながら、彌九郎は歯切れ悪く頷きます。
そうです。
彌九郎と虎之助は、秀吉の息子だったのです。
早くから家を出ていた彌九郎と、城詰めでずっと過ごしてきた虎之助は、昨日までお互いの素性を知りませんでした。
しかし、それでも一緒に居たい気持ちが勝り、今こうして秀吉に結婚の許しを乞いに来たのです。

「待たせたの!」
「!」

不安を胸にした二人の前から、機嫌の良い男の声が響いた瞬間、金の襖が音も無く開きました。
小柄なその男は、二人の父でもある秀吉です。
詳細を既に聞いていたのか秀吉は、顎髭を扱きながら二回、三回と頷きました。

「んー…うむ、そうじゃな。仕事続けてくれるんなら、別にえぇぞ!いやぁ、めでたい!」
「!?」

結構簡単に許して貰えました。
色恋事に寛容な秀吉に、二人は心から安堵し、新居は彌九郎が住んでいた河岸の屋敷となりました――。









 ◇     ◇     ◇     ◇     ◇






如安「しかし、その後の二人は仕事もせずにイチャイチャ、イチャイチャ。虎之助は若かったので、朝から夕まで彌九郎と離れたくないと無茶を言い、終いには彌九郎の仕事が滞る始末。結果、秀吉は二人を別れさせ、年に一度だけ会うことを決めたとさ。おしまい。小虎様、何事も程々にって事ですよ?えぇですか?」
小虎「あい!」
行長「如安!目茶苦茶教えるな!」










めでたしめでたし???
 
おしまい。
投げやり上等(笑)

20090707   司岐望