藍玉の約束
清正×行長








越後の上杉、美濃の稲葉が此方に着いた。
利家達も此方に着いたと見て間違いない。
そろそろ手駒を動かす時期じゃな。

仮住まいとばかりの簡素な一室で、今後の事を考えながら、後の天下人、秀吉は笑みを浮かべた。









◇      ◇      ◇      ◇      ◇






「彌九郎居るかぁ?」

言うが早いか襖を開けて部屋にずかずか入って来るのは、この部屋の主、行長の父、隆佐だ。
目覚めの時刻よりまだ早い為、行長は未だ布団の中。

「う〜…なんやぁ。親父殿か。…こない朝っぱらから、どないしたん?」

隆佐が運んできた、真冬の冷気に行長は身を縮ませ、丸くなる。
布団から出ようとしない行長の枕元に立ち、腰に手を当て怒鳴りつけた。

「寝とる場合やあらへん!秀吉様がお呼びや」
「へ?」

こんな夜も明けぬうちから?と行長は飛び起きる。

「しゃきっとせんか!」

バシンっと、大きな掌で行長の肩を叩いた。
叩かれた行長は痛みと音で一気に目が覚める。

「っ〜…それ、痛いて、いつも言うとるやん…」

痛がる行長に、カラカラ笑いながら隆佐は、用事はそれだけと去っていった。

「もー…何やねん、一体」

じんじんと熱くなる肩を押さえ、遠ざかる足音に嘆息を漏らす。
秀吉の朝は、大名となっても変わらず早いと隆佐は冗談混じりに笑うが――

「…こないな時間に呼ぶんは、生半可な話やあらへんのやろな」

居住まいを正した行長は、秀吉の意図を探るように隆佐の消えた襖をちらと見遣った。
好機を逃さぬ為であろうが、思い付きかと疑う程、時に秀吉の決断は早い。
行長は素早く身支度を整えると、今の自分に何を求められているのかを考えながら、白み始めた空を背に屋敷を後にした。






◇      ◇      ◇      ◇      ◇






「いやぁ〜、今朝はえらい冷えるのぉ。ほら、彌九郎も遠慮せんとあたれ」

平伏した行長の頭上から、かさついた手を擦り合わせる音が聞こえる。
一つしかないから、と言う理由で火鉢の側まで行長を呼び寄せた秀吉だったが、先程から寒い寒いと言うだけで、何も始まらない。

(しかも、誰も来ぃひんし)

呼び出されたのは自分だけだったようで、行長は戸惑いを感じながら秀吉の言葉を待った。

「お前にやってもらいたい事があるんじゃ」

相変わらず手を擦り合わせたまま秀吉は口火を切る。

「行長、お前に舟奉行の任を任せる」
「舟奉行…」

つまりは羽柴の水軍を任されるという事で、行長は呆気にとられた。

「なんじゃ?荷が重いか?」
「い、いえ。そんな事は…」

本当は荷が重いどころの話ではないが、稀を見ない出世の絶好の機会だ。
しかし、不安もある。
舟奉行と宇喜多家の調整、両立するのは困難で、身が一つでは到底足りない。
そんな行長の心情を読みとったか、秀吉は目を細め行長を見遣る。

「なに、宇喜多なら心配いらんぞ」

頭に描く中国の地図を指し、山陽には宮部継潤、山陰には蜂須賀正勝を配置する。宇喜多には毛利の抑えになってもらうが、この二者が居れば何ら心配無い。
きょとんとしている行長の肩を、労るように秀吉がぽんぽんと叩く。

「今までご苦労さんじゃったの。これからは、彌九郎の実力を、思う存分発揮する時じゃ」

楽しみにしておるぞ。と歳の割りに皺の多い顔を、くしゃりと歪めて笑む。

「(ホンマ、憎めへんお人や…)」

人たらしと呼ばれる所以を、身を持って実感し、大役を遣わされた事に、行長は大きな喜びを覚える。

「はい」

自然と深くなる辞儀に、秀吉の満足そうな相槌を感じながら、行長は唇を引き結んだ。

(ここから先、進めば進む程武士の領分や…)

屋敷を辞し、すっかり明るくなった空に、煌めく海を重ねる。
今までは、仲介や媒介といったどこか商人的な役割が中心だったが、秀吉が望む物はそれだけではないはずだ。

「あー…性分やなぁ」

人が欲しがるものを探し出す嗅覚は、幼い頃から隆佐に叩き込まれた。
だが――

(――…いくら欲しがられても、やっぱり、戦は苦手や…)

胸元に潜めたロザリオに触れながら、苦い笑みを浮かべる。
秀吉が睨む柴田との戦いは、恐らくは今後の転機となり、自分の立場にも大きく影響してくるだろう。

「――あいつ、どないな顔するやろ…」

宇喜多から秀吉の許へ舫い綱を移せば、子飼いの衆と顔を合わせる機会も必然的に増える。
痛い位真っ直ぐな視線を見せる青年を思い、行長は微かに吐息をついた。

「あー…もぉ。忙しすぎて、会われへんかったらえぇのに」






◇      ◇      ◇      ◇      ◇






それからの行長は、望み通り忙しい日々だった。
琵琶湖に浮かぶ島に材木を運び入れるという簡単な仕事だったが、柴田方に気付かれないように、夜間灯りも無しに舟を進めねばならなかった。
昼夜逆の生活が主になり、自然と人と合う機会が減る。

(これなら暫く会わんくて良うなるな…)

デウス様は棄てられない。しかし、清正の自分への想いを無視も出来ない。それに、自分の想いも――
島に材木を降ろし、舟を引き上げを開始しはじめた。

「月が綺麗やなぁ…」

舟に揺られ、月を眺める。
そんな行長の頬を冬の冷たい風が撫でていった。

(この風がアイツの想いも冷やしてくれたらエエのに…)
岸に戻り、眠そうな者達に労りの言葉を掛けて行くと、行長の目の前に人影が映る。
此処に居ない筈の、行長の心を乱れさせる人物。

「…虎之助はん…」

怒っているかのような強い目で、清正が立っていた。

「いつから居たんだよ」

波の揺れる静かな空間に、僅かな苛立ちを含んだ声が低く響く。
いつからと言われても、清正に告げなければならない義務も、告げずに責められる謂れもなかったが、行長自身無意識に避けていた手前、うまい言い訳が出てこない。

「――今日や、あらへん」

苦し紛れに呟いた台詞に、清正が微かに息を吐くのがわかった。
零れた溜め息が夜目にも分かる程の白い霞を棚引かせ、その長さに何故だか胸が痛む。

「…あんた、俺を馬鹿にしてるのか?人夫は少ないが、切り出しの量を見れば、検討位はつくぞ」
「―――」

脇に連なる薦の山は、確かに清正が指摘するのもおかしくない量だ。
尚更感じる気まずさから、行長はゆるゆると視線を落とした。

「なら…察しなはれ。身内でも、仕掛けを知る人間は、最少にするべきやろ」

取って付けた理由を告げると、同時に一歩、さくりと砂を踏む音が近づいた。

(やっぱり、会いたなかったわ…)

清正が発する自分に向けた想いは、距離を詰めればその分濃くなってゆくのかもしれない。
窮屈な場所で脈打つ心臓に気付きながら、行長は視界に入り込んだ男の爪先を辿った。

「虎――」
「あんたは、きっとそう言うと思てた」
「…――」

また少し背が伸びたのか、見上げる位置で、清正が苦く笑う。

(抱きしめられる…)

そう思う事に違和感のない距離と腕の動きに、行長は肩を竦めた。

――しかし。

清正の腕は宙で止まり、行長に届く事なく固く拳を握られるに留まるばかりで。
その些細な仕草に戸惑うように揺れた行長の瞳を見つめ、清正は何かを堪えるような表情で呟いた。

「…邪魔をした」

四方に散りつつも、密やかに成り行きを見守っていた者達に、一瞥をくれる。
背を向けて去ろうとする男に、行長は小さく息を飲んだ。
そして、

「今日は終いや。明日も忙しいで、はよ帰り」

回りの人夫達を急かして帰させると、行長は清正の腕をとる。

「彌九郎?」
「こない気持ち悪い別れ方したら、夢見が悪なってまうわ」

清正の腕を引っ張り、水際までやって来て、小舟に乗るよう促した。
真っ暗な湖面に小舟を滑らせて行く。
ある程度岸から離れると、其処で舟を止めた。

「此処なら人を気にせんでもエエからな」

それに、此処じゃ変な真似も出来ないから。と行長が言うと、清正の肩が揺れる。

「俺の事、何だと思って…」
「冗談や。聞き流し。…何や話あるんやろ?」

清正が睨み付けると、視線から逃れる様に湖面へと視線を落とす。
暫しの沈黙。
肌を刺す冷たい風と、舟にぶつかる波の音だけが聞こえる。

「もうすぐ、戦になる。…長浜城を落とす」

また沢山の血が流れるのだろうか。
沢山の人が悲しみに暮れるのだろうか。
山崎の地で祈りを捧げた日々を思い出し、行長は息を飲んだ。

「虎之助はんも、行かはるん?」
「ああ、…しかし、今回は無血開城が目標だ」

秀吉自身、長浜は初めての城だった事もあり、思い入れもあれば、これからの拠点とする為にも無傷で取り返したいらしい。

「今、紀ぃ…大谷紀之介吉継が交渉をしている」

大谷。と行長は口の中で転がす。
八郎の口から幾度か聞いた事がある。
長浜に初めて行った時も顔を合わせた事があったが、話した事は殆んど無い。
八郎が言うには、吉継は優しくて物知り。怒らせると恐く、よく怒られていたのは、福島市松正則と…

「虎之助はんが、よう怒られてる人やったな」
「!?っ…そっ、それを何処で…八郎か?」

あまりの清正の慌てぶりに、行長は可笑しくて、笑い出した。

「ぷっ…ハハッ…八郎坊っちゃんを責めんといてな。悪気があって話しとる訳やないから」
「…分かってる」

口元を押さえる清正の目元が、月明かりでも赤くなっているのが見て取れ、行長は更に笑みが零れる。

「上手く纏まるとエエな」

気持ちを込めて瞳を細めれば、たぷりと揺れる波の動きに合わせて、清正が頷いてくれたような気がした。

(大丈夫や…)

交渉を進める人物への信頼が、清正から滲み出ているのがわかる。
きっと、秀吉は如才無い采配で彼等を動かしているのだろう。

「―――」

清正が無言で見つめる黒々とした島の先を思い、行長は船縁を掴む指に力を込めた。

「誰も、泣かんとえぇのに…」

言霊を信じ、願いを口にする。
商人時代に培った『目』で秀吉の思惑を感じ取るならば、長浜の門が開かれても、先に広がるのは穏やかで懐かしい景色だけではないだろう。

(長浜は、色んな仕掛けを紐付きにするきっかけや…)

「…誰も泣かない戦など…無いだろうな…」
「…せやな…」

長浜を落とせば柴田方が来るのも時間の問題で、すぐに大きな戦になるだろう。
勝たなければ意味が無い世界だ。感傷に浸っている暇などない。
それでも―――

「次の戦には、俺も正式に出陣する」
「えっ?」

中国攻めでも幾度か戦に参加をしていたのは知っていたが、それは秀吉の馬回り衆という形で、激戦区ではなかった。

「秀吉様から幾人か預かった」
「……」
「俺は、帰ってくる。だから…」

そこまで言って虎之助が俯く。
だから…?その先は?

「なんやの?」
「その…あんたには他の人の為に泣いてほしくないんだよ…」
「―――っ」

消え入りそうな声が、行長の胸を震わせる。

「それは――」
「他意はない…ただ、嫌なんだ…」
「――…」

偽善者めいた自分を知っているのに、どうしてこの男はこうまでも真っ直ぐなのか。
俯いて表情が見えない事が妙にもどかしく思われ、行長は膝詰めで静かに身体を近付けると、

「なら…こうしよか」
「――っ!」

清正の冷えた小指を掬い、おどけたように肩を竦めた。

「負けたら、針千本。俺が泣くか泣かへんかは、そん時その目でしっかり見ぃや」




























終わり

やっとUPです。
なかなか難産なぶつでした。
このシリーズ。あと2つ続きます。

20081112   佐々木健&司岐望