藍玉の約束 清正×行長 |
越後の上杉、美濃の稲葉が此方に着いた。 利家達も此方に着いたと見て間違いない。 そろそろ手駒を動かす時期じゃな。 仮住まいとばかりの簡素な一室で、今後の事を考えながら、 |
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「彌九郎居るかぁ?」 言うが早いか襖を開けて部屋にずかずか入って来るのは、 目覚めの時刻よりまだ早い為、行長は未だ布団の中。 「う〜…なんやぁ。親父殿か。…こない朝っぱらから、 隆佐が運んできた、真冬の冷気に行長は身を縮ませ、丸くなる。 布団から出ようとしない行長の枕元に立ち、 「寝とる場合やあらへん!秀吉様がお呼びや」 「へ?」 こんな夜も明けぬうちから?と行長は飛び起きる。 「しゃきっとせんか!」 バシンっと、大きな掌で行長の肩を叩いた。 叩かれた行長は痛みと音で一気に目が覚める。 「っ〜…それ、痛いて、いつも言うとるやん…」 痛がる行長に、カラカラ笑いながら隆佐は、 「もー…何やねん、一体」 じんじんと熱くなる肩を押さえ、遠ざかる足音に嘆息を漏らす。 秀吉の朝は、 「…こないな時間に呼ぶんは、生半可な話やあらへんのやろな」 居住まいを正した行長は、 好機を逃さぬ為であろうが、思い付きかと疑う程、 行長は素早く身支度を整えると、 |
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「いやぁ〜、今朝はえらい冷えるのぉ。ほら、 平伏した行長の頭上から、 一つしかないから、 (しかも、誰も来ぃひんし) 呼び出されたのは自分だけだったようで、 「お前にやってもらいたい事があるんじゃ」 相変わらず手を擦り合わせたまま秀吉は口火を切る。 「行長、お前に舟奉行の任を任せる」 「舟奉行…」 つまりは羽柴の水軍を任されるという事で、 「なんじゃ?荷が重いか?」 「い、いえ。そんな事は…」 本当は荷が重いどころの話ではないが、 しかし、不安もある。 舟奉行と宇喜多家の調整、両立するのは困難で、 そんな行長の心情を読みとったか、秀吉は目を細め行長を見遣る。 「なに、宇喜多なら心配いらんぞ」 頭に描く中国の地図を指し、山陽には宮部継潤、 きょとんとしている行長の肩を、 「今までご苦労さんじゃったの。これからは、彌九郎の実力を、 楽しみにしておるぞ。と歳の割りに皺の多い顔を、 「(ホンマ、憎めへんお人や…)」 人たらしと呼ばれる所以を、身を持って実感し、 「はい」 自然と深くなる辞儀に、秀吉の満足そうな相槌を感じながら、 (ここから先、進めば進む程武士の領分や…) 屋敷を辞し、すっかり明るくなった空に、煌めく海を重ねる。 今までは、 「あー…性分やなぁ」 人が欲しがるものを探し出す嗅覚は、 だが―― (――…いくら欲しがられても、やっぱり、戦は苦手や…) 胸元に潜めたロザリオに触れながら、苦い笑みを浮かべる。 秀吉が睨む柴田との戦いは、恐らくは今後の転機となり、 「――あいつ、どないな顔するやろ…」 宇喜多から秀吉の許へ舫い綱を移せば、 痛い位真っ直ぐな視線を見せる青年を思い、 「あー…もぉ。忙しすぎて、会われへんかったらえぇのに」 |
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それからの行長は、望み通り忙しい日々だった。 琵琶湖に浮かぶ島に材木を運び入れるという簡単な仕事だったが、 昼夜逆の生活が主になり、自然と人と合う機会が減る。 (これなら暫く会わんくて良うなるな…) デウス様は棄てられない。しかし、 島に材木を降ろし、舟を引き上げを開始しはじめた。 「月が綺麗やなぁ…」 舟に揺られ、月を眺める。 そんな行長の頬を冬の冷たい風が撫でていった。 (この風がアイツの想いも冷やしてくれたらエエのに…) 岸に戻り、眠そうな者達に労りの言葉を掛けて行くと、 此処に居ない筈の、行長の心を乱れさせる人物。 「…虎之助はん…」 怒っているかのような強い目で、清正が立っていた。 「いつから居たんだよ」 波の揺れる静かな空間に、僅かな苛立ちを含んだ声が低く響く。 いつからと言われても、清正に告げなければならない義務も、 「――今日や、あらへん」 苦し紛れに呟いた台詞に、清正が微かに息を吐くのがわかった。 零れた溜め息が夜目にも分かる程の白い霞を棚引かせ、 「…あんた、俺を馬鹿にしてるのか?人夫は少ないが、 「―――」 脇に連なる薦の山は、 尚更感じる気まずさから、行長はゆるゆると視線を落とした。 「なら…察しなはれ。身内でも、仕掛けを知る人間は、 取って付けた理由を告げると、同時に一歩、 (やっぱり、会いたなかったわ…) 清正が発する自分に向けた想いは、 窮屈な場所で脈打つ心臓に気付きながら、 「虎――」 「あんたは、きっとそう言うと思てた」 「…――」 また少し背が伸びたのか、見上げる位置で、清正が苦く笑う。 (抱きしめられる…) そう思う事に違和感のない距離と腕の動きに、行長は肩を竦めた。 ――しかし。 清正の腕は宙で止まり、 その些細な仕草に戸惑うように揺れた行長の瞳を見つめ、 「…邪魔をした」 四方に散りつつも、密やかに成り行きを見守っていた者達に、 背を向けて去ろうとする男に、行長は小さく息を飲んだ。 そして、 「今日は終いや。明日も忙しいで、はよ帰り」 回りの人夫達を急かして帰させると、行長は清正の腕をとる。 「彌九郎?」 「こない気持ち悪い別れ方したら、夢見が悪なってまうわ」 清正の腕を引っ張り、水際までやって来て、 真っ暗な湖面に小舟を滑らせて行く。 ある程度岸から離れると、其処で舟を止めた。 「此処なら人を気にせんでもエエからな」 それに、此処じゃ変な真似も出来ないから。と行長が言うと、 「俺の事、何だと思って…」 「冗談や。聞き流し。…何や話あるんやろ?」 清正が睨み付けると、視線から逃れる様に湖面へと視線を落とす。 暫しの沈黙。 肌を刺す冷たい風と、舟にぶつかる波の音だけが聞こえる。 「もうすぐ、戦になる。…長浜城を落とす」 また沢山の血が流れるのだろうか。 沢山の人が悲しみに暮れるのだろうか。 山崎の地で祈りを捧げた日々を思い出し、行長は息を飲んだ。 「虎之助はんも、行かはるん?」 「ああ、…しかし、今回は無血開城が目標だ」 秀吉自身、長浜は初めての城だった事もあり、思い入れもあれば、 「今、紀ぃ…大谷紀之介吉継が交渉をしている」 大谷。と行長は口の中で転がす。 八郎の口から幾度か聞いた事がある。 長浜に初めて行った時も顔を合わせた事があったが、 八郎が言うには、吉継は優しくて物知り。怒らせると恐く、 「虎之助はんが、よう怒られてる人やったな」 「!?っ…そっ、それを何処で…八郎か?」 あまりの清正の慌てぶりに、行長は可笑しくて、笑い出した。 「ぷっ…ハハッ…八郎坊っちゃんを責めんといてな。 「…分かってる」 口元を押さえる清正の目元が、 「上手く纏まるとエエな」 気持ちを込めて瞳を細めれば、 (大丈夫や…) 交渉を進める人物への信頼が、清正から滲み出ているのがわかる。 きっと、秀吉は如才無い采配で彼等を動かしているのだろう。 「―――」 清正が無言で見つめる黒々とした島の先を思い、 「誰も、泣かんとえぇのに…」 言霊を信じ、願いを口にする。 商人時代に培った『目』で秀吉の思惑を感じ取るならば、 (長浜は、色んな仕掛けを紐付きにするきっかけや…) 「…誰も泣かない戦など…無いだろうな…」 「…せやな…」 長浜を落とせば柴田方が来るのも時間の問題で、 勝たなければ意味が無い世界だ。感傷に浸っている暇などない。 それでも――― 「次の戦には、俺も正式に出陣する」 「えっ?」 中国攻めでも幾度か戦に参加をしていたのは知っていたが、 「秀吉様から幾人か預かった」 「……」 「俺は、帰ってくる。だから…」 そこまで言って虎之助が俯く。 だから…?その先は? 「なんやの?」 「その…あんたには他の人の為に泣いてほしくないんだよ…」 「―――っ」 消え入りそうな声が、行長の胸を震わせる。 「それは――」 「他意はない…ただ、嫌なんだ…」 「――…」 偽善者めいた自分を知っているのに、 俯いて表情が見えない事が妙にもどかしく思われ、 「なら…こうしよか」 「――っ!」 清正の冷えた小指を掬い、おどけたように肩を竦めた。 「負けたら、針千本。俺が泣くか泣かへんかは、 |
終わり |
やっとUPです。 なかなか難産なぶつでした。 このシリーズ。あと2つ続きます。 20081112 佐々木健&司岐望 |